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時事

山本太郎は母親がフィリピン人でハーフ?父親の早すぎる死で母子家庭で育った

 

この記事では、

・山本太郎は母親がフィリピン人でハーフ?

・父親の早すぎる死で母子家庭で育った

についてお伝えしていきます。

 

山本太郎は母親がフィリピン人でハーフ?

 

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元タレント・俳優として活躍し、

反原発運動をきっかけに政治家に転身した山本太郎さん。

現在はれいわ新選組の代表として、脱原発や社会保障改革などに取り組んでいらっしゃいます。

 

度々過激な言動で批判の的になることもありますが、そんな山本太郎さんはどんなご両親の元で育ってきたのでしょうか?

家庭環境などまとめました。

 

山本太郎の母親はフィリピン人?

 

山本太郎さんの母親を検索すると、

「フィリピン」というキーワードがでてきます。

 

 

このキーワードを見ると、

山本太郎の母親はフィリピン人なのか?

と、思ってしまいますよね。

 

でも、結論から先にいうと、

山本太郎さんの母親、乃布子さんは日本人です。

なので山本太郎さんはもちろんハーフではありません。

 

 

目鼻立ちの整った美人なお母様ですが、

画像を見てもわかる通り、フィリピンの方にはみえません。

 

ではなぜそのようなキーワードがでたのかというと、それはお母様のある活動によるものだと思われます。

 

ペルシャ絨毯の輸入業とフィリピンのボランティアで活躍

 

山本太郎さんの母親はフィリピン人ではありませんが、

フィリピンと深い関わりを持っています。

 

山本乃布子さんは、ペルシャ絨毯の輸入業を営む傍ら、フィリピンの貧しい子供たちを支援するボランティア団体のメンバーでした。

 

そのため、山本太郎さんは幼い頃から乃布子さんと共に何度もフィリピンに渡り、ボランティアを手伝ったそうです

 

その時のことを乃布子さんは次のように述べています。

いろんな町や村で日本から持っていった食べ物とかデザートを、子供たちに実際に配らしたんです。慈悲の心とか、優しさを培うために

施す方が、自分の内に徳を積めるというか、してもらった人がたとえ一時でも幸せを感じれば、自分も幸せな充実感で満たされる。それを子供たちに教えたかったんです。

引用:『山本太郎 闘いの原点』より

 

 

これらの活動は、山本太郎さんの人生観や価値観に大きな影響を与え、今の政治活動に繋がっているんですね!

 

山本太郎さんの母親はどんな人

 

山本太郎さんは、著書「山本太郎 闘いの原点」の中で、

母親は「パワフルで正義感が強い人」で、

「日常的にも自分より弱い立場の人には、
手を差し伸べなさい」

とすごく言われて育ったと語っています。

 

そして山本太郎さんの人生の転機になる場面では、

必ず愛情をもって応援の言葉をかけています。

 

1番初めの人生の転機

 

山本太郎さんが16歳の時、『天才・たけしの元気が出るテレビ!』の「ダンス甲子園」に素人として出演した時の事。

 

圧倒的な個性とパフォーマンスで世間に注目される存在になりましたが、それを問題視した高校の校長先生は、

 

校長先生
校長先生
テレビの活動を続けるのか、
それとも学校やめるのか

と2択を迫りました。

 

職員室からお母様に電話をすると、

「太郎の人生だから、自分で本当にやりたいことをやりなさい」

と言われ、電話口で大泣きしたそうです。

 

その言葉がきっかけで山本太郎さんは芸能界にデビューし、タレント・俳優として活躍しました。

 

2番初めの人生の転機

 

山本太郎さんは、2011年3月11日に発生した福島第一原子力発電所事故をきっかけに、反原発運動に取り組むようになりました。

 

その事がきっかけでテレビでの仕事が激減・・・

 

その時にお母様から、

俳優も脱原発運動もバランスよくやりなさい

とアドバイスされます。

 

しかしお母様譲りの正義感が、どっちつかずの中途半端なことを許さず、

所属事務所を退所しました。

 

3番初めの人生の転機

 

所属事務所を退所し、芸能界から身を引いた山本太郎さんは本格的に政治の世界に足をふみいれます。

 

政治家を目指す時にお母様に言われたことは

信念を貫きなさい

でした。

 

人生の節目節目には必ず、山本太郎さんが正しい道を進めるようにアドバイスされています。

お母様の大きな愛を感じますね!





父親の早すぎる死で母子家庭で育った

 

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山本太郎さんのお父様は、山本さんが1歳の時に亡くなっています。

一部の情報では事故だったともいわれていますが、死因についての詳細はあきらかになっていません。

山本太郎さんは実の父親の存在について、「僕の中には父親の存在は一切ない」とも話してました。

 

なので、母親と姉ふたりの母子家庭でした。

 

母子家庭だが裕福な暮らし

 

父親亡き後、ペルシャ絨毯の輸入事業に成功し、社長として一家を支えていたお母様。

なので、母子家庭ではあるけど、山本太郎さんの幼少期は経済的にとても恵まれた環境だったそうです。

 

実際山本太郎さんの実家は兵庫県宝塚市ということですが、

宝塚市は昔から「お金持ちが住む町」と言われており、なかでも中山桜台は特に富裕層が多いそうです。

 

山本太郎さんは小さい頃からピアノを習ったり、様々な国に海外旅行にいったりもしていました。

小学生の頃にはフィリピンに2か月程ホームステイをしていたこともあったようです。

また中学校も私立中学に進学していたりと、経済的に恵まれていなければ難しいことばかりです。

 

女手一つで3人の子供を、何不自由なく育てあげた山本乃布子さんは本当にパワフルでエネルギッシュなお母様ですね!





まとめ・・・

 

この記事では、

についてまとめました。

 

山本太郎さんがフィリピンハーフだったというわけではなく、母親の山本乃布子さんのボランティア先が主にフィリピンであったという事でした。

仕事やボランティア活動を通じて世界で活躍を見せている母、山本乃布子さんと、日本のために奮闘している山本太郎さん。

活動の場は違えど、母と子は似ているところがありますね。

 

山本太郎さんはこれからも「信念を貫いて」日本のために頑張って欲しいですね。

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