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【非透過性納体袋】志村けん兄が語った感染から亡くなるまでの家族の悲しい経緯!

志村けんさんが、29日、東京都内の病院で亡くなりました。日本中の人達が志村さんの突然の死に驚き、悲しみにくれています。

そんな中、志村けんさんのお兄様、志村知之さんと奥様が自宅前でテレビの取材に答えていました。

そのコメントでは、家族なのに、病気になった患者を見舞う事も看病をする事も、そして亡くなっても会ってお別れをする事も出来ない残酷で悲しい事実が語られました。

このことは決して他人事ではありません。
一人一人が受け止めなければいけない事実です。





志村けん兄(志村知之さん)が語った感染から亡くなるまでの家族の悲しい経緯

 

 

志村さんが発症から亡くなるまでの経緯は次のようになります。

 

【3月17日】

倦怠感があり、自宅待機する(発症日)

 

【3月19日】

発熱や呼吸困難の症状が現れる

 

【3月20日】

訪問診察した医師の判断により、都内の病院に搬送
重度の肺炎と診断を受けて入院

 

【3月21日】

人工呼吸器をつける際、麻酔で眠り、そこから意識がなくなる

 

【3月23日】

新型コロナウイルス検査で陽性が判明

 

【3月24日】

保健所による調査が行われ、発症日と濃厚接触者の特定が完了
(対象者は自宅待機をしているという。感染経路については現在のところ不明)

 

【3月25日】

人工心肺装置がある新宿の病院に転移
ECMO(エクモ)を使用

 

【3月29日】

午後11時10分、新型コロナウイルス肺炎のため永眠

 

陽性が判明してからわずか6日でした。

持病があったにしても症状の悪化のスピードが物凄く早く、コロナウイルスの恐ろしさを改めて痛感しました。

 

志村さんの兄が涙ながらに取材に応じる

 

志村けんさんの1番上のお兄様、志村知之さんとその奥様が自宅前でテレビの取材に辛い胸の内を語っていらっしゃいました。

 

 

志村けんさんが亡くなってからまだ24時間も経っていないのに、親族の家に押しかけてカメラとマイク向けるなんて・・・と少し怒りを感じる部分もありましたが、、、

ただこの後、お兄様とその奥様が語った、志村けんさんの発症から取材を受けてる今までの家族の経緯はあまりにも残酷で辛いものでした。

 

感染して亡くなると、家族でも会うこともお別れも出来ない

 

最後に志村さんと会ったのは先月の2月26日。

麻布十番で家族だけで集まり、志村さんの古希のお祝いをしたそうです。

まさかその時が、最後の元気な姿だとは誰も思わなかったでしょうね。

 

病院に会いにいっても会えなかった。

なので、入院されてからは志村さんの所属事務所「イザワオフィス」の社長からの連絡待ち。

奥様は涙をこらえながら、

「本当なら盛大に送ってあげたいですけれど・・・
 こんな事ってありますか・・・それが1番悔しい・・・」

と、、、、

 

志村さんの訃報を伝える所属事務所のFAXにはこう綴られていました。

 

ご遺族の意向により、通夜及び葬儀は、近親者のみにて執り行われます。
誠に勝手ながら、ご香典・ご供花・ご供物の儀も、固くご辞退申し上げます。

お別れの会については、ご遺族と相談の上、決定次第、ご連絡申し上げます。

 

人があつまりコロナウイルスの感染を増やさないようご香典・ご供花・ご供物の儀も辞退。

志村さんは感染していましたので、ご遺体は自宅にも、お兄様の家に帰ることなく、病院からそのまま火葬場に・・・

 

今までの流れをまとめると、

 

志村さんが入院されて、お兄様夫婦が病院に行っても会うことは出来なかった。
なので看病をすることもできない。

 

志村さんの経過は事務所からの連絡待ち。

 

危篤になっても側に行くこともかなわない。

 

亡くなっても感染する恐れがあるので、ご遺体は非透過性納体袋に収容・密封されてそのまま火葬場に。

 

骨を拾うことも出来ない。

 

最後に顔を見ることも触れることもできず、お別れになる。

 

こんなに辛くて、残酷で、悲しい最後ってあるでしょうか・・・

 

 

これがコロナの本当の恐ろしさであり、見えていない現実なんです。





まとめ・・・

 

志村さんの訃報が流れ、沢山の人達が悲しみに暮れました。

こんなにも愛された人が、たった一人で旅立ってしまったのかと思うと涙が止まりません。

 

これは決して他人事ではありません!明日は我が身です。

自分から進んで、行いや態度を慎むことを心がけていきたいものですね。

 

志村さんの、ご冥福をお祈り申し上げます

 

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