話題のツボ

坂本冬美の父親(正夫)は事故死・弟(誠次)と母は病死。他に家族はいるのか?

 

この記事では、

についてお伝えしていきます。

坂本冬美の父親(正夫)は交通事故死だった?

 

坂本冬美さんの父親、正夫さんは様々な仕事をされていたそうです。

などの職を転々としていたことで、

冬美さんが小さかった時はあまり家にいることがなかったそうです。

 

でも冬美さんはお父様が大好きでとても仲が良かったそうです。

 

父親の突然の死

1997年(平成9)10月4日、坂本冬美さんが30歳の時・・・

何の前触れもなく、最愛の父:正夫さんとの突然の別れが訪れました。

 

正夫さんが乗った乗用車が、坂本冬美さんの地元、和歌山県にある田辺市内の浦漁港の海中から引揚げられました。

車の中からは正夫さんが遺体で発見されました。

 

この時、正夫さんは55歳。

まだまだお若い盛りでした。

 

このショッキングな出来事は、事故・自〇・他〇など様々な物議を呼びました。

 

真相は明らかになっていませんが、

亡くなるひと月前に冬美さんとお父様は一緒にゴルフをしたそうです。

 

「父は、私と一緒にやりたくて、ゴルフをはじめたんです。

亡くなるひと月前に一緒にゴルフをして、その後、お茶に誘われたけれど、飛行機があるからと別れて……。

それが最後になりました。

そのときの父の寂しそうな目が今も心に残っています。

父には、もっといろいろしてあげたかったと悔やむ気持ちが強いんです」

 

引用:女性自身

 

娘とのゴルフを楽しみにしていたお父様が、

その一か月後に自ら命を絶つとは考えにくいですよね。

 

そう考えると色々憶測はありますが、

やはり事故だったのではないかなと思います。

 

その後、坂本冬美さんはあまりにもショックが大きく、なかなかお父様の死を受け入れることができなかったそうです。

 

深い悲しみを抱えながら、お仕事は続けていましたが、

 

「人生の応援歌を歌うのが精神的に辛くなった」

「歌への情熱が薄れてしまった」

 

と、精神的にかなり参っていたようです。

 

でも、お父様の死から約3年後の2000年9月、

23枚目のシングル「風鈴」のカップリング曲で、

 

亡き父に捧げる歌「おとうさんへ」という曲を、

「さくらなな」というペンネームで作詞作曲を手がけました。

 

歌詞がとてもストレートで心が打たれます。

 

曲の最後の歌詞に、

”せめて、「ありがとう」の言葉 言いたかった”

とあるのですが、冬美さんの深い寂しさと悲しみを感じずにはいられません・・・

 

坂本冬美の弟(誠次)と母親(優子)は病死

 

坂本冬美のお母様と弟さんは共に病気で亡くなっています。

 

母:坂本裕子さん

引用:坂本冬美オフィシャルサイト「冬美便り」より

 

2022年6月25日、

坂本冬美さんの母、裕子さんが旅立ちました。

享年77歳でした。

 

2016年くらいから体調を崩され、

入院・手術と最後の時まで病院で過ごしていたそうです。

 

冬美さんの弟、誠次さんが6年間お母様の介護をしていたそうで、冬美さんも毎月和歌山に帰省し、お見舞いに行っていたそうです。

 

お母様が危篤状態になった時、コロナ禍ということもあり面会は難しい時期でした。

しかし、3時間ほどお母様に寄り添うことが出来、ちゃんと見送る事ができたので後悔はなかったそうです。

 

2022年7月25日の坂本冬美オフィシャルサイト「冬美便り」では、お母様の逝去について次のように述べています。

 

ご報告

本日「徹子の部屋」の放送日です。

番組の中で母の話をしておりますが、実は収録を終えた5日後の6月25日に、入院中だった母の容態が急変し、帰らぬ人となりました。

くしくも本日25日は母の月命日となります。

未だに信じられない想いでおりますが、黒柳さんに母の話を聞いて頂き、全国の皆さまに番組をご覧頂ける事が、母への供養になるのではと思っております。

生前ファミリーの皆さんには、母にお優しく接して頂きまして、深く御礼申し上げます。

そして、余計なご心配をおかけするのではと思い、ご報告が遅れました事、お許し下さいませ。

私は大丈夫ですから、心配しないで下さいね!
m(_ _)m

 

引用:坂本冬美オフィシャルサイト「冬美便り」

 

 

お父様のように突然の別れではなく、前もって覚悟が出来ていたこと、そして最後はじっくりと親子の時間を持てたことで、心穏やかに見送る事ができたんですね。

 

弟:坂本誠次さん

 

お母様が亡くなった3カ月後の2022年9月、

今度は弟の坂本誠次さんに病魔が襲い掛かりました。

 

ガンが見つかり、そこから約11ヵ月の闘病生活を送り、

2023年8月3日にあの世に旅立たれました。

 

享年55歳という若さでした・・・

 

このことについて冬美さんは「冬美便り」で次のように語ってらっしゃいます。

悲しいご報告です

遺言が弟らしく「派手に送ってほしい」でしたので、このようなご時世でしたが、
芸能界の皆さまより沢山のご供花を頂戴し、沢山の方々にご参列賜りました。

 

出棺の時には弟が大好きだったサザンオールスターズのアルバム
「NUDE MAN」が流れ、派手に送る事が出来ました。

 

・・・・中略・・・・

 

グッズ販売などの折に、弟にお優しく接して下さいましたファミリーの皆さま、
心よりありがとうございました。

明日から気持ちを切り替えて、
弟の分も頑張ってしぶとく生きて行きたいと思っております。

 

引用:坂本冬美オフィシャルサイト「冬美便り」

 

誠次さんは冬美さんのインターネットショップ「冬美商店」の運営責任者であったり、グッズ販売にも携わっていました。

 

お母様の介護や冬美さんのお仕事の手伝いなど、お互いを支え合っていた弟さんが先に逝く現実はとても辛かったと思います。

 

立て続けに身内を亡くし、精神的に悲しみが重く深くのしかかっていると思います。

それでも前向きに、

「弟の分も頑張ってしぶとく生きて行きたいと思っております」

と、頑張ってる冬美さんは凄い人ですね。

坂本冬美には他に家族はいるのか?

 

坂本冬美さんは結婚はしていなく、

旦那様やお子さんはいらっしゃいません。

 

若いころにお父様を不慮の事故で亡くされ、

2022年には最愛のお母様も旅立ちとその翌年には弟さんの早世・・・

 

冬美さんは天涯孤独になってしまったのでしょうか?

 

坂本冬美さんは3人姉弟の真ん中で、お姉さん(頼子さん)がいらっしゃいます

 

お姉さんの詳しい情報はありませんが、

お母様の優子さんは20代で3児の母になったと雑誌のインタビューで冬美さんがおっしゃていましたのでお姉さんとはそう歳は離れていないのではないかと思います。

 

弟の誠次さんとは2歳差ですので、お姉さんとも2,3歳ほど離れているかもしれませんね。

 

冬美さんのお姉さんはご結婚をされてお子さんがいらっしゃるようです。

 

2022年4月25日の読売新聞の記事で、

 

坂本冬美さんの祖母・母・姉が家庭の味である「サンマ寿司」を受け継いでいくといった内容の記事が掲載されました。

 

その中で冬美さんは、

姉に作り方を教えてもらうつもりだ。

姉の子供たちがサンマ寿司を作ってくれるかわからない。

 

姉の子供たちとあるので、2人以上お子さんがいるようです。

 

また、お父様の不慮の事故をきっかけに心労・体調不良を理由に2002年4月から休業した時、旅行に行って心身の回復に努めたそうです。

その時、旅館を予約する際に本名の「坂本冬美」は使えないので姪っ子さんの名前を使っていたそうです。

 

ということはお姉さんのお子さんの1人は女の子なのかもしれませんね。

 

冬美さんは今、お姉さんと頻繁に連絡を取り合い支え合っているということです。

辛い中でもその気持ちを分かち合える家族がいて本当に良かったですね。

まとめ・・・

 

この記事では、

についてまとめました。

 

お父様の不慮の事故・立て続けに最愛の母と弟を亡くしても、

前向きに頑張っている坂本冬美さん。

 

これからも陰ながらでも応援していきたいと思うので、良い歌を沢山歌って欲しいと思います。

 

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