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みょんふぁ(チェジョンヒョプの通訳)のプロフィールと経歴!大阪生まれの在日コリアン三世が女優になるまでの道のり

 

この記事では、

・みょんふぁ(チェジョンヒョプの通訳)のプロフィールと経歴

・大阪生まれの在日コリアン三世が女優になるまでの道のり

についてお伝えしていきます。

チェジョンヒョプの通訳さん

 

2024年1月23日スタートのドラマ「Eye Love You」

 

 

このドラマで女優の二階堂ふみさんとの共演が話題になっているのが韓国人俳優のチェ・ジョンヒョプさんです。

 

ドラマの番宣を兼ねて主演のお2人がいろいろな番組に出演されていますが、その中でメインの二階堂ふみさんやチェ・ジョンヒョプさんよりも注目を集めている人物がいます。

 

それは、チェ・ジョンヒョプさんの通訳を務めているこの女性

 

 

 

めちゃくちゃ面白いし、可愛らしい通訳さんですね♪

 

スタジオやお茶の間を爆笑の渦に巻き込み、Xのトレンド入りを果たしたこの女性は一体どんな方なのでしょうか?

 

みょんふぁ(チェジョンヒョプの通訳)のプロフィールと経歴!

 

  • 本名:洪明花(ほんみょんふぁ)(홍명화)
  • 生年月日:1971年1月18日
  • 年齢:53歳(2024年現在)
  • 出身地:大阪府
  • 身長:158.5㎝ 体重:49kg B:80 W:60 H:90 靴:23.5
  • 特技:韓国語 英語 関西弁 ダンス ピアノ ギター 韓国舞踊 韓国打楽器 ゴルフ 乗馬
  • 資格・免許:スキューバダイビングオープニングライセンス 自動車普通免許
  • 職業:女優、司会、ナレーター、韓国語通訳・翻訳、プロデューサー、演技講師、SORIFA事務所代表

 

 

大阪のコリアンタウン、生野区で在日韓国人3世として生まれたみょ舞台のんふぁさん。

韓国の方が多く通うインターナショナルスクール金剛小学校に通いました。

 

小学校1年の時、みょんふぁさんの担任が舞踊団“グループ黎明”を創立することとなり、みょんふぁさんはお母さんとともに立ち上げメンバーとして参加することになります。

 

小学校1年生から中学校2年生までは舞踏漬けの日々で、どんどん舞台の虜になっていったそうです。

 

中学は日本の学校に通わせるという両親の意向のもと、私立追手門学院大手前中学校に入学し、演劇部に入部したそうです。

 

この頃には将来は大阪芸術大学の演劇科に進みたいと考えていたようですが、お父さんが反対していたようです。

 

中学卒業後、何とかして大阪芸術大学に進学したいと考えたみょんふぁさんは、幼い頃に学んだピアノで何とかならないかと思いつき、自分で先生を見つけてピアノを習い始めます。

 

表向きは「大阪芸術大学音楽学科ピアノ専攻」に進学するという真正性を両親にアピールし、

「ピアノならいい」と、見事両親(特にお父さん)の承諾を得ることに成功しました。

 

みょんふぁさんの努力ももちろんですが、なかなかの策士ですね!

 

大阪芸術大学入学後、2年生からは当初計画どおり行動に乗り出します。

 

当時、大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科に在学して活動中だった俳優の古田新太さんと親交を交わし、舞台に立つ機会を得たり、

「劇団そとばこまち」のオーディションに合格したりと、

本当にやりたかった事にのめり込んでいきます。

 

その為、本来やるべき学業よりも舞台を優先視・・・

そのことで両親の猛反対にあうと同時に、大学卒業も危なくなり、劇団を休団して学業に専念するしかなくなりました。

 

大学卒業後は、女優の夢をあきらめ、ごく普通の社会人として働きました。

 

演劇を辞めて24歳になったみょんふぁさんは、何か夢中になることを探していました。

その時に、韓国語を勉強しようとソウルの国際教育振興院(現国立国際教育院)に1ヶ月半留学しました。

 

国際教育振興院とは・・・

外国に住んでいる国民(韓国人)だけを対象に、韓国で母国語を学べるように設立された語学専門の学校

 

在日韓国人3世なので、小さな頃から韓国語には馴染みがあるのかと思っていましたが、

実は、ご両親もみょんふぁさんも日本で生まれ・日本育ちなので韓国語は一切話せなかったそうです。

 

ちょっと意外な事実ですねw

 

ここでの体験をみょんふぁさんは、

 

みょんふぁさん

みんな同じ韓国籍なのに韓国語が話せず、全員違う言語を話して、
しかも生活文化が全く違うという。

いったいぜんたい民族ってなんぞや?

 

と、心から感じたそうですw

 

帰国後は韓国語の勉強を続ながら、兵庫韓国商工会議所に勤務。

イベントの司会やラジオパーソナリティなどの活動もしていたそうです。

 

そしてこの頃、ご結婚もされているようです

 

転換期が訪れたきっかけは離婚後・・・

1997年、みょんふぁさんが27歳の時に1年間ニュージーランドに留学。

 

その時にニュージーランドでフリースクールを運営する叔父から、

叔父さん
ミュージカルをしてみよう!

 

と声がかかり、

フリースクールの日本学生たちと共に「男はつらいよ」のミュージカルを創作。

 

みょんふぁさんは営業から振り付け、演出まで引き受けました。

 

1年間ミュージカルを創作に向き合ったこの経験を通じて、みょんふぁさんはこれまで抑えていた演劇に対する考えと再び向き合うことになり、

 

みょんふぁさん
結局根性がなくてやめた演劇だけど、もう一度やりたい!

 

と、演劇に対する情熱が沸き上がりました。

 

帰国後、女優としての活動を始めます。

 

2002年、32歳で上京・・・

小劇場での活動を経て、2003年から13年間、劇団ユニークポイントというに所属し、

当劇団の全公演に出演しキャリアを積んでいきます。

 

その後は、日韓交流を目的として、様々なプロジェクトにも携わったり、韓国戯曲の翻訳や紹介、イベントや舞台のプロデュース、映画や演劇の通訳や翻訳など、演劇への情熱をエネルギーに変えて多岐にわたる活動をしています。

 

2014年には、文化庁在外研修で韓国国立劇団で韓国デビュー

2017年には、第9回小田島雄志翻訳戯曲賞を受賞しました。

 

2021年には、幼少より憧れていた舞姫、崔承喜のひとり芝居『母MyMother』を公演

 

2023年には、日韓交流の拡大化のために母体となるSORIFAを設立し、代表を務めています。

SORIFAでは、様々な戯曲の翻訳・紹介やプロデュースを行なっている他、演劇講師や韓国語講師としても活動していて、K-POP練習生の育成のために韓国語で演技レッスンも行なっています。

まとめ・・・

 

この記事では、

 

についてまとめました。

 

大阪生まれの在日コリアン三世のみょんふぁさんが女優になるまでの道のりは、決して楽な道のりではありませんでした。

なのでどちらかというと遅咲きの女優さんかもしれないですね。

でも、みょんふぁさんの演劇への燃え滾る情熱と努力、そして多彩な才能には驚愕するばかりでした。

 

これから先、どんな輝きを見せてくれるのか期待しかありません。

今後も注目していきたいですね。

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