多くの人に愛される楽曲を数多く提供している、米津玄師さんと星野源さん。
どちらも今や、巷で知らぬ人など居ない有名アーティストですよね。
実はそんな彼らが口をそろえて、人生を変えてくれたアーティストとまで語る人物がいます。
その人物は『平沢進』さんです。
今回はそんな大物アーティスト2人に影響を与えたアーティスト『平沢進』についてまとめてみました。
お2人が平沢進さんに関して語っている動画も合わせてお楽しみください。
米津玄師や星野源の音楽に影響を与えた平沢進って誰?
名前 | 平沢進 |
生年月日 | 1954年4月1日 |
出身地 | 東京都足立区中川 |
学歴 | 東京デザイナー学院卒業 |
ジャンル | ポストパンク/ニュー・ウェイヴ エレクトロニカ/アンビエント プログレッシブ・ロック/シンフォニック・ロック(マンドレイク、ソロ以降) テクノポップ(初期P-MODEL) ワールドミュージック・ニューエイジ・ミュージック(ソロ以降) サイケデリック・ミュージック サイケデリック・ロック 電子音楽 |
職業 | シンガーソングライター 作曲家 編曲家 音楽プロデューサー ナレーター CGアーティスト |
担当楽器 | ボーカル ギター キーボード シンセサイザー プログラミング シーケンサー ドラムス 「ヘヴナイザー」「グラヴィトン」 「チューブラーヘルツ」「レーザーハープ」などの自作楽器 |
平沢進さんは、ミュージシャンとしての活動だけではなく、色々なことを手掛けているオールマイティな方なんです。
デビューは1979年。
テクノポップバンドP-MODELとしてでデビューしました。
この時はリーダー兼ボーカリストです。
1989年からはアルバム『時空の水』リリースし、ソロ名義での活動も開始。
ソロ活動を開始してからの平沢進さんは様々な活動に乗り出します。
1990年代前半にかけて、CMソングを制作して音楽の幅を広げています。
更に、楽曲提供も積極的に行っています。
そして、ついにアニメ作品の音楽製作にも進出!
「DETONATORオーガン」「剣風伝奇ベルセルク」を手掛け、2000年代には「妄想代理人」や映画「千年女優」「パプリカ」などなど。
2010年代には、再度「ベルセルク 黄金時代篇」に楽曲提供しています。
そして平沢進さんはプロのミュージシャンとして、初のインターネットでの音楽配信を始めた人であり、テクノポップブームを巻き起こした、三大テクノの一人です。
実は今の音楽とかなり関わりのある人なのです。
米津さんも人生を変えた一曲として、平沢進さんの楽曲『MOTHER』を挙げていて、
「聞いたことが無い音楽なのに懐かしさがある。凄いバランス感覚で成り立っていて、そこを自分も大切にしている。」
と語っています。
星野源さんも、以前オールナイトニッポンに出演した際に
「以前ラジオで流したけど、大好きな曲だからもう一回かける」と 平沢進さんの『世界タービン』を放送していたりもしていました。
お二人がラジオで語っていた動画はコチラ
これにはニコニコ動画で見ていた 平沢進さんのファン(通称・馬の骨)もビックリですねwww
平沢進の経歴・逸話
平沢進さんは過去に『MANDRAKE』『P-MODEL』というバンドで活動を行っていました。
今現在はソロで活動を行っており、ライブではなかなかにインパクトのあるパフォーマンスをしています。
たとえばコチラ。曲に合わせて鉄を削り、音楽の一部としていたり、
電気を使って音楽を奏でていたりもします。
ちなみに2つの動画で平沢進さんが使っているのはレーザーハープといって、平沢進さんの自作の楽器なんだそうです。
もはや何でもアリですねw
こんなハチャメチャなライブをしている平沢進さんですが・・・
実は2000年に開催された“インタラクティブ・ライブ・ショウ2000「賢者のプロペラ」”が<作品表彰の部>の最高賞である「経済産業大臣賞」と「エンターテイメント部門最優秀賞」を受賞したり、
映画『パプリカ』の主題歌「白虎野の娘」はアカデミー賞歌曲賞部門のノミネート候補となったりと、実はかなりすごい人なのです。
まとめ・・・
いかがでしたでしょうか。
米津玄師や星野源さんの音楽性も なかなか不思議で独特な世界観ですが、
もしかしたらこれも平沢進さんが影響しているのかもしれませんね。