この記事では、
- 寺田宜弘の結婚と妻について!
- 家族(父・母)もバレエダンサーだった
についてお伝えしていきます。
寺田宜弘のwiki風プロフィール
寺田宜弘さんは、日本の京都府出身のバレエダンサー、振付家、演出家で、キーウ国立バレエ学校と京都バレエシアターの芸術監督を務めています。
バレエ界におけるその活動と貢献により、2023年にニューズウィーク日本版の「世界が尊敬する日本人100」に選出された凄い人物です。
彼の情熱と才能は、バレエ界における日本の存在感を高める一方で、ウクライナと日本の文化交流にも大いに貢献しています。
寺田宜弘さんの卓越したキャリアと、
彼がバレエ界に与えた影響について詳しく見ていきます。
寺田宜弘の経歴
寺田宜弘さんの経歴は以下の通りです。
- 1987年:11歳のとき、単身でキーウのバレエ学校に留学。
- 卒業後:キエフバレエ団にソリストとして入団し、その後ウクライナ・アカデミー大学芸術学部教育学科を卒業。
- 1995年:セルジュ・リファールの市国際コンクールで優勝。
- 2007年:京都バレエシアター芸術監督に就任。
- 2011年:ビロシュニシュカとセム・ドワーフズ – キョツキー国際オブミヌ賞を受賞。
- 2012年:キエフ国立バレエ学校芸術監督に就任。
- 2013年:京都観光大使に任命。
- 2020年:ウクライナ国立文化芸術アカデミー教授に就任。
- 2022年:ウクライナの名門バレエ団「ウクライナ国立バレエ」(旧キエフ・バレエ)の芸術監督に就任。
寺田宜弘さんのキャリアは、11歳で単身キエフに渡り、日本人初の旧ソ連国費留学生としてキエフ国立バレエ学校で学び、その後はウクライナ国立バレエへ入団したことから始まりました。
寺田宜弘さんは長年バレエ団のソリストとして多くの舞台に立ち、退団後はキエフ国立バレエ学校の芸術監督を務め、ウクライナのバレエ文化の発展に貢献してきました。
また、2003年にはウクライナ功労芸術家、
2016年には人民芸術家の称号を与えられています。
2022年12月6日には、寺田さんがウクライナ国立バレエの芸術監督に、日本人として初めて就任されました。
この役職は、演目から配役、演出家や振付師などを決め、バレエ団の活動方針を示す責任者として、新たな時代をつくるという大きな役割を担っています。
寺田さんの活動は、バレエ界だけでなく、文化交流や国際理解にも大いに貢献しています。
寺田宜弘の結婚と妻について!
寺田宜弘さんは、2013年に結婚しています。
奥様はウクライナ出身の寺田アナスタシアさんです。
とてもお綺麗な方ですね。
アナスタシアさんもキエフバレエのソリストです。
寺田さんとアナスタシアさんは、
バレエを通じて出会い、共にバレエ界で活躍しています。
そんなお二人は結婚10年目を迎えた今でもラブラブで、
とても仲睦まじい様子がわかります。
しかも2人ともとてもお茶目で可愛らしいご夫婦ですね。
2人の間にお子さんがいるかは不明です。
寺田宜弘の家族(父・母)もバレエダンサーだった
寺田宜弘さんの両親、寺田博保さんと高尾美智子さんは共にバレエダンサーでした。
寺田博保さんと高尾美智子さんは、1960年に「寺田バレエ・アートスクール」を設立。
京都本校をはじめとする日本国内の複数の教室で、バレエの技法だけでなく、創造力、美学、精神力、忍耐力、日本の伝統芸術である茶道を教育内容に取り入れています。
1975年にはウクライナのキーウ国立バレエ学校と姉妹校の盟約を結び、長い交流の歴史を持っています。
寺田博保さんは寺田バレエ・アートスクールの創設者であり、その校長も務めていました。
しかし、2001年に亡くなり、その後は妻である高尾美智子さんが後を継ぎ、寺田バレエ・アートスクールの現校長になっています。
下のインスタの7枚目の画像に、
お父様とお母様と幼い頃の寺田宜弘さんが写っています。
余談ですが、寺田宜弘さんは次男ということなのでお兄様がいるようです。
しかし、お兄様に関しての情報はありませんでしたが、
寺田家はバレエ一家なので、もしかしたら表舞台ではなく裏方に徹しているのかもしれませんね。
こちらのインスタ画像には、「Family」と言葉が添えられているので、
奥様のアナスタシアさんのご両親と母親の高尾美智子さんのようです。
義父と義母とも仲が良いようですね。
まとめ・・・
この記事では、
についてまとめました。
2023年の紅白歌合戦のゲスト審査員として出演した寺田宜弘さん。
テレビでお目にかかることはほとんどありませんが、バレエ界ではものすごい功績のあるかたでした。